Thursday, March 11, 2010

ARM下見@奈良

どうも、ブログ催促係になったまきろんです☆
催促係になったからには、まず自分やろとゆうことで。

2010/2/22(月)、ARMの下見として奈良をりょうすけくんの車でまわりました。運転手してくれてありがとう♪
メンバーはりょうすけ、はっち、あかや(東大寺より)、まきろん。

11時頃に奈良駅集合☆
お天気も非常によく、ぽかぽかお昼寝日和だったのでのほほ~んと法隆寺に向かいました。
はっちと「寝ようか~」と話してたら、りょうすけも「寝よっか~」と言っておられました笑
12時前頃法隆寺に到着☆
法隆寺は1時間くらいでまわるつもりだったのに、3人とも興味津々で職員の方の説明に聞き入っていたので3時間半くらいじっくり見てまわりました。
五重塔のてっぺんには、当時の人が雷を非常に恐れて守りとした鉄製大きなのカマ(140cmだったかな‥)が据えられています。最下層には、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。
金堂の扉は格子になっているのですが、この製法は木を真っ直ぐ切断する技術が発達していなかった当時にあってはとても難しい技術を駆使して作られたものと言えます。
中門の柱はエンタシスという、柱の中央部がほんの少し膨らんだ作りになっています。この作りは大きな門を支える強度に優れているのだそうです。一本の柱は一本の木を4等分して作られており、建立当時、日本にこのような大きな木がたくさんあったことが窺えます。現在はそのような木はあまり無い為、修復時には東南アジアなどの外材を充てるのだそうです。
大宝蔵院には観音様や如来様などの有り難~い像がたくさん安置されています。
その中でも、百済観音に惹かれました。百済観音が水瓶(すいびょう)を左手にお持ちになっているのを何故かと職員の方にお尋ねしたころ、次のような説明がありました。「水で清める意味がある。水瓶が少し傾いているでしょ?あれは観音様が人々を救おうと一歩歩み出そうとしておられるから。」
じーーーん‥(゜゜)感動しました。飛鳥時代の百済観音は足が揃っているけど以降は片足が一歩踏み出しているそうです。
玉虫厨子(飛鳥時代)は玉虫の羽を貼り合わせて豪華であったそうですが、今ではほぼ全て剥がれてしまっていて当時の輝きを見ることは出来ません。しかし、職員の方が教えて下さいました!「あそこに1つだけ残ってるよ」またまた感動でした。
かの有名な十七条の憲法も展示されてありました。和以貴為‥だけ読めた!
この日は丁度、法隆寺を建立した聖徳太子の命日だと聞いて3人でしみじみ運命を感じました。

15:30時間も押してあかやを待たせていたので急いで奈良駅へ。
16時東大寺に到着☆
大仏殿の閉門は16:30だけど一旦入ったら追い出したりしないよ。というおじさんの言葉を無邪気に信じ、4人中へ。
大仏を拝もうとしたら早速扉を閉められそうになったので、急いで入って薄暗い中拝みました笑
大仏さんっておっきいね!りょうすけが、くぐったら頭が良くなるという穴を幼稚園児達に続いてくぐってました笑
閉めるから出るようにと職員に急かされ、外へ。ゆっくり見たかったという感想でした。
ARMで利用する候補の店でご飯を食べようと歩いて行ったが、大仏殿閉門に合わせて閉店。
来た道をひたすら歩いて帰り、安くて量の多い店で夕飯を食べて解散しました♪
昼ご飯お預けやったから、皆集中してがっついてたな~